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幻蒼ネットワーク
なんとなく戯言(2007年09月)
2007/09/11
「アルトネリコ」のサポーターズリンクに参加してみた。
「影狼のゲーム攻略区画」さんで見かけた「さぽている」をウチのサイトでも使いたいと思ったからだ。

「アルトネリコ」といえば今年の10月に「2」が発売予定で、実は結構楽しみな1本だったりする。
前作は発売日に購入して以来途中で止まっていたものの、「2」に備えて先日から再開したところだったから割とタイムリーなネタでもあったり。

ゲームとしての「アルトネリコ」は戦闘システムがなかなか斬新な作品だ。
後方に位置するレーヴァテイルに詩を唄ってもらう。
ある詩魔法は、唄い続けることで元気玉のようにぐんぐん大きくなっていき、画面一杯にでかくなった気の玉(?)を敵にぶつけてどかぁ〜んと粉砕。これが実に気持ちいい。
他にもガスト制作らしい、調合によるアイテム作成(とレーヴァテイルによる命名イベント)や装備品に強化パーツを自由にはめ込むことで自分なりにカスタマイズできたりと、シリーズ1本目として充分な出来の佳作だと思う。
ストーリーの方も思ったよりいい感じで、結構先が気になっている(現在「phase 3」で物語的にも終盤まで来ていると思う)のだが、いかんせん、戦闘がダルく感じるようになってしまい、プレイを継続する意欲も低下しがちなのが残念なところ。
というのも、気を貯める→どか〜ん→気を貯める→どか〜ん…という単調な繰り返しになってしまって、さすがに飽きてきたというか。
とはいえ、もうひと工夫あればさらにおもしろくなる気がしているので「2」ではどのように改良されているのかが楽しみなのも事実だ。

あと、久しぶりに「なんとなく戯言」インデックスページを更新です。
さぽているをここに置いたのと「ゲーム備忘録」というのを新設してみました。
これはその名の通り、今後購入予定のゲームがどのくらいあるのかを把握するために記載することにしました。
2007/09/03
2007年9月1日、俺は死んだ。
…こうして駄文を綴っていることから、もちろん実際には死んでいなくて、一見普通の生活を営んでいるように見えているはずだが、俺はこの日、精神的には死んでしまったのだ。
そして、この精神的な死がこの世から消え去ることに繋がっていないことが残念でならない。
俺のこれから残りの人生がどれほどの期間か知らないが、からっぽの人間が惰性の如く生きていくことにどれほどの価値があるというのか。

もし誰かに、こんなことがあったと話したなら「そういう気持ちはわからなくもないが、ちょっと大げさじゃないか」と言うだろう。
そうかもしれない。しかし、本人である俺がそう思うのだから、そうなのだ。間違いなく。
そもそも、ここに至るまでの前提の話やらを含めて聞いてもらわないと正確な死亡原因は伝わらないだろうし、そのためには自伝一冊分を話さなくてはならなくなる。
とまぁ、こんな頭の悪い文章を書き始めて、とにかく相当参っていることだけは伝わっただろうか。

…もうね、ええかげんしんどいのよ、俺は。いっそ全部おしまいにできたらどれほど楽か。
怒りやら悲しみやら喪失感やら計り知れない負の感情が次から次へと沸いてきたけど、そいつら、行き場を失ったのか全部自分に返ってきよる。
怒れば怒るほど、殴れば殴るだけ俺が痛い。
FFIIみたいに自分で殴った分だけ強くなれればまだいいけど、レベルアップどころか経験値ひとつ入らず、自分で自分を叩きのめすだけなんやで。
実はこれほどへこんでるのはこの件だけやない。とにかく全方向に渡ってしんどい。なんかね、やることなすことどれもうまくいかないというか。
もちろん解ってるつもりや。結局のところ、自分の能力不足やらこれまでの行いの蓄積が招いた現状なんやから。
それは承知しているけど、それにしてもこれ以上自分を責めるのも正直辛いんよ。

今はただ受け入れられたい。赦されたい。
よくがんばったね、うまくいってはないけれど、あなたはよくやったよねって誰かに優しく赦されたい。
せめて、一から十までといわず、千、万までぶっちゃけて話せるような人がいれば幾らかは救われるのだろうけど、残念ながらそんな人はいない。
誰も愛せない、愛されない人間が、なんのために生きていかなくてはならないのか。どうして生きているのか。わからない。

それでも、自分からおしまいにすることはないだろう。人間、やっぱいろいろとしがらみもあるしな。

…後からこの文章を読み返して、この時の俺はこんなに辛かったんやな、今はなんとか元気にやっとるで、と思える日が来ることを心から願っている。

ページ作成:蒼月 白羽

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